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2011年09月08日

考え事

今日、ふと最近の子はドライやからな~という話をしていたのですが、そんな私も「ドライ」とか「冷めてる」とか言われた事がある。自分でそういう意識はないけれど、コノヤローとかくそうとかううっ辛いぞと思ってもやらなければいけない事はやってくる。いちいちそれで止まるわけにいかないから、先へ進めているだけで、心の中で大嵐を吹き荒らしながら仕事を淡々とせなあかん時はいっぱいある。表面的にはドライに見えるのかなあ。

私が思うドライというか、最近の人の傾向として、ちゃんと話をしない人、ちゃんと謝れない人は多いと思う。

ちゃんと話をするっていうのは、相手が何を言いたいのか理解し、自分の意見を述べる事。そこで感情を共有したり、今後どうすれば良いか建設的に考えたりする事。そもそも理解出来ない内にイエスと言ったり、保身や責任を負いたくないがために自分の考えを持たなかったりすると、本質を理解してないも同然なので、事由は違っても本質が同じすれ違いがまた起きてしまう。真剣に向き合っている方にとってはとても悲しい。でも、それに対して何も思わない人が多い、それが心が乾いて感じる。

ちゃんと謝れない例。むか~し、職場で自身の都合で周りを振り回し、結果的にクビになった人がいた。気性の激しい人で、予てから要注意とは思っていたけど。辞めるまでの経緯だけでも、腹立たしい部分は多々あった。それでも、その都度きちんと冷静に話をしてきたつもりやった。人間、色んな事が起きるし、彼女も激しい気性のせいで、しんどい思いも沢山したんだろうな。その気性は周りの環境のせいもあるのかもしれないし。どうか、良い仕事が見つかると良いですね、と、思う予定やった。謝ってくれさえすれば。でも、彼女は何も言って来ず、黙って去っていった。もう肯定するものは何も無い。最低や。

むか~し、職場で上司に対応の不適応さを指摘した際に、「はいはい、僕が悪かったです」と、子供のような答えが返ってきた事がある。「理解して頂けたのなら結構です」と言って何事も無かったようにお互い仕事をするものの、私の心は大嵐である。その数日後、その上司に呼び出されて、「あの時の僕の対応はおかしかった。申し訳ない」と、バイトの私に頭を下げられた。数日間、私と仕事をしながら思い悩んだんだろうな、という思いと同時に、心が豊かになった感覚があった。最初からそうだったら良かったんだろうけど、日々必死で働いて起きたミスに対してバイトに指摘される悔しさを想像できた、という風に、最終的にきちんと謝ってもらえる事で否定が肯定に変わる事もあると思う。そして、お互いを理解しようという方向に気持ちが向く、という作用があると思う。

今はそういう人間関係を築く事より、あたりさわらず、生ぬる~い関係を好む人が多いような気がする。
音楽と関係の無い、でも個人的には音楽と非常に密に感じる話でした。


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Posted by aya at 22:54│Comments(0)日記
 
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